2006-03-06 第164回国会 参議院 予算委員会 第5号
経済効率主義者は集落移転やればいいというふうに言います。それはできたらいいですよ、それは、集落移転。だけど、そこへ行って、独居老人、行ってですね、集落移転やってくださいなんて言えません、それは。行って、私はここ、先祖伝来ここに暮らしているから暮らしたいと言われたら、分かりましたと言うしかないんです。そうすると、道路の整備はしなくちゃならない、いろんな整備はしなくちゃならない。
経済効率主義者は集落移転やればいいというふうに言います。それはできたらいいですよ、それは、集落移転。だけど、そこへ行って、独居老人、行ってですね、集落移転やってくださいなんて言えません、それは。行って、私はここ、先祖伝来ここに暮らしているから暮らしたいと言われたら、分かりましたと言うしかないんです。そうすると、道路の整備はしなくちゃならない、いろんな整備はしなくちゃならない。
それは竹中大臣でありまして、竹中大臣がすべてその経済効率主義で日本経済や日本に暮らす人たちの生活を大きく変えている張本人ではありませんけれども、竹中大臣がこういう考えでこういうふうにしているというふうにしますと、地域の人たちは妙に納得をしてくれるわけであります。
○岩本荘太君 今の大臣のお答えが、経済効率主義でということでない別の面からも眺めたいというふうにお答えいただいたんだと思って納得はさせていただきますが、前の大臣もその前の大臣もはっきりこう言っているんですよね、経済効率主義でない面も考えなきゃいかぬというようなことは。
私は、そのときも申し上げたんですけれども、中山間地の問題というのは、これはそこに住んでいる人の問題でなくて、いわゆる国土という観点から国民全体の問題で、むしろ中山間地が疲弊したら、それは、そこに住んでいる人よりも、むしろ川下の都会の人が困る問題であるんで、日本全体の問題として取り上げていただきたいと、そういうことと、それから、やっぱり今の経済効率主義で算定するとどうしても取り上げづらい問題が、何も農業
最後に、時間がちょっと余っておりますが、前々回、警察庁の審査のときの積み残しなんですけれども、先ほど大臣、大変いいことを言われて、私はちょっとなるほどと思ったんですが、荒井委員の答弁の中で、社会資本整備は赤字覚悟でも国としてやらなきゃいけないものはやらなきゃいけないというような、確かに、私は経済効率主義でやりますと地方というのは寂れちゃう一方だという認識でおりますから、別の角度から、いわゆる今の経済効率主義
日本だけではなくて世界も、新しい価値観、経済万能主義、あるいは経済効率主義、あるいは経済成長至上主義、いろいろ言われますが、何でもかんでも経済が先に来た世の中から、新たに、例えば資源そのものも大変な制約がある、その中で経済活動をしていかなきゃならない。大きな新しい制約条件のもとで、この国や世界を動かしていかなきゃならない。
ところが、現実問題を見ますと、どんどんどんどん過疎化が進んでいる、見放されているというのが現状でございまして、これはいわゆる経済効率主義といいますか、そういう物の考えであれば、これは効率が悪いに決まっていますから、絶対寂れていくのはわかり切っているわけでございますけれども、それでいいのかというのが大きな問題でございまして、これはいろんな施策をやられる面からもそういう中山間地をどう認識するか、その辺が
それと、そうはいいながら、現実にいい、いいと、何かやらなきゃいけないというふうな思いを持っても、総論はわかっても各論はなかなかできない、あるいは最近の日本人の価値観というのがどうしてもそういう経済効率主義といいますか、そういうものに偏ってしまうということで、現実はなかなか整備、やっていただいているんですけれども、なかなかうまくいかないというのが現実、実情だと思います。
これは、一つには経済効率主義、それから社会構造的なジェンダーに起因するんではないかということを私は考えております。 議員の総数に占める女性議員の比率は、例えばアメリカなどに比べまして、国会議員よりも地方議員が低いというのも日本の特色でございまして、これは言ってみれば日本女性の政治参画基盤の弱さをあらわしているというふうに考えられます。
これは私なりに分析させていただければ、やはり今のといいますか、戦後日本の社会がいわゆる経済効率主義でずっと続いてきたわけでございますから、条件が不利であるところは取り残されるというのはごく当たり前なわけでございます。 しかし、一方でそれは国土の一部ということでもあるわけでございまして、と同時に、多自然居住地域というふうに御定義いただいた。
その点はひとつ今まで進んできた経済効率主義といいますか市場経済というんですか、そういうものもいいんでしょうけれども、そうでないものの判断をしっかりと入れなけりゃいけない、その辺にあるのではないかというふうに思っております。
そんな中で、日本の中にはいろんな方がおられますから、今の日本の経済効率主義からいえばそれは当然消滅してもいいではないかというような議論もあろうかと思います。それはそれで一つの議論かと思いますが、昔のような状況でほうっておけば自然に返るというようなことであればいいわけでございますけれども、今はほうっておいても昔のような深山幽谷に戻るというようなそんな状況ではない。
ですから、いわゆる効率主義というか、経済効率主義という形で、既にアメリカではそういう考え方でやったことが失敗しているわけです。それはいわゆるアメリカの農地における多肥多農薬という形の中での土壌の砂漠化ということですね。そういうことを踏まえてくると、やはり今後日本の中で、そういう形のものが果たして成立するかどうかということは非常に難しい。
ここで、私の専門分野でございます芸術文化の公共的性格について申し上げれば、戦後の経済効率主義が生み出した負の遺産からの脱却を求めまして、これは各位の方々も御存じのことかと思いますが、一九七〇年代初頭から、物から心へというのが大きな全国的な声となって起こってまいりました。そのことによって初めて芸術文化の持つ公共的な価値が改めて見直されてまいりました。
今御指摘のとおり、議論の中で明らかになりましたとおり、中山間農業、規模拡大等の構造政策を軸とする経済効率主義の発想だけではどうしても解決ができないということが明らかになったわけであります。
GNP主義は経済効率主義ともいえるわけで、企業の効率を考えて、外部不経済、たれ流しの状態であったということも十分反省されなければならない。その意味で粉じんとかあるいは亜硫酸ガス、将来NOXも環境基準がきまりましょうけれども、そういった大気汚染を防止するための無公害燃料化の努力、あるいはそれに必要な装置というものを企業としてつけていく必要があるように思います。
○永山委員 大臣が食糧の自給度を高めて自給態勢を確立するということは、その国の経済の安定、生活の安定の基本であるというその態度には、われわれも同感でございまして、中には貿易立国主義で、むしろ高い農産物はつくらずに外国の安いものを入れたらいいじゃないかというような誤った観点で、経済効率主義を主張をいたしまして、重点的に農村の開発あるいは山村地帯の開発に金を出すのは惜しい、むしろ臨海工業地帯へ最重点の施策
○田畑金光君 経済効率主義をやめて、バランス、均衡のとれた経済態勢をつくるということでありますると、従来の高度成長政策というのは反省しなければならぬと思っておる。なぜならば、中小企業や農業を本格的に育て、近代化しよう、あるいは道路や住宅に重点を置くとすれば、成長率は当然下がると思います。いな、下げなければならぬと思います。